弾かれたように振り向く彼女から、視線が外せない。
動きに合わせてふわりと宙に舞う彼女の髪は、甘い香りを漂わせて周囲を魅了する。
「ごめんなさいっ」
ほんの少し、肩が触れる程度の衝突に、彼女ははっきりとその言葉を口にした。
連れに急かされてすぐに行ってしまった彼女の後姿を、ユノは瞬きをすることを忘れて見つめていた。
スローテンポ・ワールド
「ユノ、どうしたの?」
ジェジュンの一言でようやく我に返る。
視線の先に、彼女はもういない。
「なに? 向こうになにかあるの?」
「いや、……なんでもない」
業界関係者に招かれて出席したパーティー。
あまり乗り気ではなかったのに、まさかこの場で一目惚れに近い出会いをしたのだとは、口が滑っても言えそうにない。
暖色の照明に照らされて、煌びやかな装飾がいたるところで輝いている。
かっちりとスーツを着込んだ男たちと、華やかなドレスに身を包んだ女たち。
グラスを片手に話に花を咲かせ、笑いあい、装飾以上に賑やかなムードで盛り上がる。
「なんか……こういうしっかりしたパーティーって、慣れてないから疲れるね。」
ジェジュンの言うとおり、場の雰囲気に気圧されて疲労が溜まっているように感じる。
苦笑いをしながらグラスに口をつけ、固めた髪の毛に少し触れながらため息をつくジェジュン。
ユノも静かに息を吐きながら、蝶ネクタイをほんの少しだけ緩めて周囲を見渡した。
先ほどの女性はいったい、誰だったのか。
すれ違いざま体がぶつかってすぐ、振り向いた彼女の表情が驚くほどはっきりと脳裏に焼き付いている。
ぱちりと大きな瞳は会場の照明や装飾を映して輝いていた。
長い睫に、上品な口紅の色。耳元で揺れるピアスの形。
振り向きざまに漂っていた香水の香り。ホルタ―ネックの鮮やかな赤いドレス。
そして、周囲の音にかき消されることなく耳に届いた彼女の凛とした声。
すべて一瞬の出来事だったのに、こんなにも印象に残るものなのか。
もはやユノの頭の中は、彼女のことでいっぱいだった。
「ユチョンたち、まだ囲まれてるよ。ユノ、どうする?」
ジェジュンの言葉に、意識を引き戻されるようにして視線の先が動く。
ほかの参加者たちの質問攻めにでもあっているのか、ユチョン、ジュンス、チャンミンの3人は未だに人だまりの中にいるらしい。
助けようにもどうしようもないよねー、というジェジュンの声が耳に入るのと同時に、視界に鮮やかな赤を捉えた。
ユチョンたちがいる人だまりの中。
誰よりも輝いて見える、彼女の姿だった。
「えっ、ちょ、ユノ!」
背筋を伸ばしたままきれいに会釈をする彼女から目が離せない。
なにかを考えるよりも先に、ユノの足が動き出す。
優雅に、緩やかに背を向けて歩き出す女性の姿だけが、ユノの視界に映っている。
どこかに行ってしまう前に、一言だけでも言葉を交わしたい。
彼女に自分を認識してもらいたい。
「あの!」
そんな願望をはらんだ自分の声色は、ずいぶんといろんな感情を含んでいるように思えた。
期待、不安、焦燥、緊張、歓喜――
心なしか鼓動の速度も上がっているような気がする。
たかが一度の些細な声掛けに、こんなに感情が高ぶるなんて思ってもいなかった。
ユノの呼び止めに、本人以外の何人かが視線を向けてきた。
それに一拍おくようにして彼女をが振り返る。
麗しい瞳がユノをまっすぐに映していた。
「あの、先ほどはぶつかってしまってすみませんでした。きちんとお詫びもできずに……」
呼び止めたはいいもののなんと会話しようか……と考えたのはほんの一瞬だけだった。
思考するよりも先に言葉が出てくる。
普段の会話では考えられないくらい舌がよく回り、ユノ自身も驚いていた。
「お帰りになってしまったのかと思いましたが、お見かけできてよかった。改めて申し訳ありませんでした」
「いえ、とんでもない! 頭を上げて下さい!」
慌てる彼女の声色は、先ほどと同じく凛としていて耳に心地いい。
そっと肩口に添えられた手が、謝罪を止めるように促す。
「私の不注意でしたから、お詫びするのはこちらのほうです。申し訳ありませんでした」
話しかける口実のための謝罪だったのに、彼女は律義にそう言って頭を下げた。
ふわりと、品のいい香りが鼻腔をくすぐる。
ほんの少しの肩の接触に、ここまで丁寧に対応するのはこの場のせいだろうか。
それとも、ユノが多少は顔の知れた人間であるせいだろうか。
そのどちらの推測も、顔を上げた彼女の表情を見て消え去った。
人格者なのであろう人となりの良さがにじみ出ている。
ぶつかった相手がたとえスタッフだったとしても、同じように丁寧に応対するのだろうと直感した。
「ユノさん、お疲れではないですか?」
恋に落ちて間もないせいか、相手の一挙手一投足一声までにも魅了され、その声音で名前を呼ばれたことにいたく感動してしまう。
彼女が顔と名前を認識してくれていることにも、心を揺さぶられた。
まるで青春を謳歌する学生のような気分。気持ちが浮ついて、フワフワとしている。
年を経てなおこんな気持ちにさせてくれる人がいるのかと、感慨深くもあった。
「ええ、……本音を言うと、ちょっとだけ」
「そうですよね。業界の顔見知りが多いとはいえ、こういった場所での懇談は気疲れしますよね」
うちのチームリーダーはやたらと華美な交流会が好きな人で――
そこまで言って、あっ!と声がはじけた。
目も軽く見開かれたかと思えば、やや焦りながらせわしなくクラッチバックを開けて何かを取り出した。
両手で丁寧に差し出されたそれは、彼女の名刺だった。
「ご挨拶もしないですみません。私、と申します」
と細字のきれいなフォントで名前が印刷されている。
社名を見ると、所属事務所が懇意にしている取引先のものだった。
今回のこのパーティーの主催の一組織でもある。
名刺に記載された連絡先はもちろん社用のものだが、わずかでもつながりを持てたのは喜ばしい。
「さん……」
「はい。今後お仕事でご一緒することもあるかと思うので、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ――」
「ユノ」
絶妙なタイミングで横やりが入った。
というと少々邪険に扱いすぎかもしれないが、傍らにはジェジュンがいてに会釈をしながら言葉を続ける。
「もう僕たち出る時間だって。車、待たせるみたいだから」
ユノは数時間前の自分を恨めしく思った。
当初乗り気ではなかったこのパーティーから早めに離脱するべく、事務所スタッフに根回しを頼んでいた。
メンバー全員で事務所送迎の車に乗り込めば、角を立てずに中抜けすることができる。
関係者へのあいさつもメインどころの面々とすませた頃合いを見計らえば、そんなに長いをせずにすむだろうから……とお願いしていた。
「お忙しい中わざわざ来ていただいてありがとうございました」
そんな算段を知りもしないは、ジェジュンの言葉を”時間を割いてパーティーに参加してくれた”ととったらしい。
深々と頭を下げて「お見送りします」とユノを見据える。
会場となっているホテルの駐車場口で、ユノは名残惜しくを見つめていた。
ジュンス、チャンミン、ユチョンとメンバーが次々に送迎者に乗り込んでいく。
以外にも数名の業界人が見送りに来てくれ、各々軽い別れの挨拶をすませていた。
「お忙しいとは思いますが、お体には十分気を付けてくださいね」
にこり、柔らかい笑みがユノに向けられる。
その姿を見て、自分はこの短い時間でいかに彼女に惚れこんだのかを改めて自覚した。
「また、会いましょう。さん」
至極自然な流れでそうしたように努めて、手のひらを差し出す。
緊張で少し震えているかもしれない。
そう思いつつ、握り返されるのを待っていた。
「はい。次は、もっとゆっくりお話しできるといいですね」
合わせられた手のひらから伝わる温度を、この先何があっても一生忘れないと思う。
だいぶキザでロマンチストで大げさな感想を、しかしユノは本心でそう思っていた。
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2021.03.27
2016年10月に書きかけだったファイルに加筆修正しました。
タイトルは話のテンポの悪さを戒めるつもりで……